星さがし

頭の中に迷い込んで言葉を綴ります

備忘録

2019.01.19

 

お風呂にケータイを持ち込み、僕は今湯船に浸かりながらこれを書いています。またしても深夜の更新、毎日書くのが日課になりそう

 

バンドをやる前は何してたんだっけ とふと思いまして、僕の今までやってたことを適当に、自慢を交えながら書いていこうかなと思います。あんまり読む意味ないかも

 

4歳の頃幼稚園の同じクラスで出会った女の子に僕は初恋をしました、名前は今じゃもう覚えてないんだけどね…

 

その子は友達と喋ることは愚か、朝の会で先生に名前を呼ばれても一言も口にしない子だった。親と話してるのをたまに見かけるくらい

なんとも言えない魅力に僕は恋したんです、4歳とは思えないでしょ?今でも覚えてるもんその時の感覚

 

いじめられっ子だった小学時代、端から端を腕で行き来する鉄の棒の遊具「うんてい」って覚えてます?どういう字を書くのかすら分からないのですが、アレがめちゃくちゃ好きでさ

朝早くに学校に行っては一人でやって、昼休みも30分ずっとやってた。最高記録は往復52回

当たり前のように変なやつ認定を喰らい、片耳だけ大きかったこともあってあだ名は「猿」という何とも小学生の思いつきそうな名前で呼ばれてました。そのくせ正義感だけはやたら強くて、すーぐいじめの対象になる、さらにその上ほんっとに泣き虫で毎日泣かされてました

先生も「あー、大瀧また泣いてるな」くらいのね

算盤と空手をやっていました。俺が初めて武道館に立ったのは、空手の全国大会の決勝トーナメントでした。何故か予選をストレートで勝ち上がってしまった俺は、晴れ舞台で自分より頭1個分くらい小さい男の子にボロカスにやられ、悔しがる間もないまま武道館を後にした覚えがある。なんか面白いよね

 

中学では 先輩に「お菓子買ってあげるから」という理由でバドミントンを始めて、真面目キャラとヘンテコな正義感から学級委員と部長を務めて、「バドミントンで生きていこう」と血迷った俺の夢は実業団に入ることだった。高校も半分それで選んだんだ、バドミントンの強豪に入ろうって。

何故「半分」かというと、当時僕には付き合ってた彼女がいたんです。「恋は盲目」とは良くできた言葉で、俺は良い大学に入って良い企業に就職して、結婚して家庭を持って子供を作って、ジジイババアになってもしわくちゃな手を繋いでるんだろう。なんて阿保みたいな事を中学三年生の厨二病な頭で必死に考え、本当に君以外見えてなかったあの頃の僕は「男子校なら女の子と話す機会すらないし 心配させないぞ」なんて男だけの高校を選んだんだ。

 

奇しくも君は卒業式の当日に「話がある」と俺を呼び出し、泣きながら「好きかどうか分からなくなっちゃった、ごめんね」なんて切り出すもんだから、泣きたかったのは俺なのに「いいよ、君が大丈夫なら」なんてカッコつけた手前、涙を堪えた帰り道、部屋に帰って来てわんわん泣くんだ

 

なんだこれ、小説風な書き方になってて気持ち悪い

 

とにかく、超好きだったなぁなんて今でも思うな。若いって恐ろしい

 

そんなこんなで出鼻を挫かれたそんな俺も束の間、毎年インターハイに出場する部活は当たり前のようにキツく練習についていくので精一杯だった。バドミントン部で五厘坊主って信じられる?入部したら先輩がバリカン持って待ち構えてるんだよ?文字通り頭大丈夫?

 

勿論 部活の中で一番弱かった俺は先輩にいびられ同期とも折が合わず、そんなこんなで一年しないうちに辞めたんだ。夢を意気込んだ俺は何処へやら…

 

高校を選んだ理由を2つも失くした俺は、テンプレートみたいだけど不登校になっちゃうんだよね。2年は年間で60日くらい休んでた。勿論超頭も良くて、偏差値が70もあったもんだから勉強なんてついていけなくなるし、余計学校も行かない。2年の学期末試験の数学があと1点低かったら留年してたほど切羽詰まってた

 

自慢じゃないと言ったら嘘になるんだけど、俺は中学まで超秀才呼ばわりされてて、中学も体育だけ4、その他オール5っていう今じゃ考えられない成績をしていて、高校に入ってそれさえも打ち砕かれて 本当に井の中の蛙だなぁって思った。昔からずっとおばかちんなんだろうなぁ

 

無気力で途方に暮れてた俺の足元に、たまたま音楽が転がってた。さっきも書いた中学の時の彼女に、ライブを誘われたんだ

 

2013年の12月とかだったと思う

amazarashiのツアー、Zeep TOKYO

当時まだその子のことが好きだった俺は断る理由もなく、初めてライブに足を運んだんだ。少しゆったりとしたフロアの空気が、初めて行くライブにしてはドープだったと今でこそ思う

 

色々口実つけたりしてその後も一緒にライブに行くんだ、ほんと未練がましいなって思うけど笑

 

2014年3月9日

ブログでも良く書くから知ってる人は「またか」って思うんだろうけど、念願のRADWIMPSのライブ。横浜アリーナ

 

始発で並んで物販を買って、そわそわしながらまだかまだかなんてチケット片手に整理番号を数えて。最前2列目、初めて見た憧れのアーティストは最高に夢心地で時間が一瞬で過ぎた。何が何だかもう覚えてないんだよね

 

ツアー行けるだけ行きたい!と思った俺はその後もライブに行くんだ。埼玉と神戸くらいなんだけどね

 

忘れもしない2014年3月27日(そう言って日付間違えてたら恥ずかしいけど)

 

いつも一緒にライブの開場待ちをするグループの中に、一人知らない陰キャラみたいな男がいたんだ。(…誰?)と思いながらも「初めまして〜」って挨拶した。おどおどしながら受け答えしたそいつの名前はどうやら「たけひろ」っていうらしい。クソ覚えづらいのなんの、その日が終わってからも「あいつ名前なんだっけ…」って周りの人に聞いたよね

 

そんな名前の覚えづらいたけひろ君から、後日ツイッターに連絡があるんです。「ドラムやってるの?RADのコピバンしようぜ!」そう、ココペリドットの前身バンドの完成です。この先はたけひろもブログに書いてたし良いかな、ちなみに名前は「1-Step」 我ながらダサすぎる

 

そんなこんなで今に至ります。もちろん人ひとりの人生なので、たった21年間といえどもっともっとたくさんの事がありました。書ききれない想い、言葉にならない気持ち、どれもこれも俺が忘れてしまっても俺の中の21年間に活きてる。それら全てが僕を形作っているんです

 

みんなにもきっとあると思う、思えば今までのあの時あの瞬間って人生のターニングポイントだったんだなとか、分かれ道をこっちに進んだんだなとか。

 

意外と分岐点にいると気付かないもんなんです。自分が今人生の岐路に立たされている事や選択すべき大きなことってさ

 

だからこうして今日は俺自身の事を書こうと思いました。上手く纏められないし、言葉に出来ない。その上読むには苦行みたいな身の上話ばっかりで、ここまで辿り着いてくれる人が果たしているのだろうか…

 

 

まあでも僕は僕なりにこうして書き連ねました、みんなも思い出せる時に思い出してはいかがですか?案外見返すと悪くないかもよ

なんてそんなお勧めをしつつ、僕は髪を乾かしつつ、この文字の羅列は3000字ぴったりです。これを読んだ人は凄い、きっと明日いい事があります